こころの話ー。
分かりにくく変にポエミーなタイトルです、すみません。
「もうだめかもしれんと思った時には色々暗く見える」みたいな話です。
※ネガティブな内容を含みます。ご注意を。
前置き。
筆者は体が弱かったり、心が弱かったりするので、
結構すぐに「もうだめかもしれん」と思ったりすることがあります。
なんかちょっとしたことでも結構思ったりします。情けない話ですが。
でも、ことが済んでみれば、まあ大丈夫だったりもします。
よく「なぜ悩んでいるとき、自分はあんなにダメだーって気分になるのだろう?」
と考えたりするのですが、まあいい答えは出ませんね。
まあ、それは本題ではなく。
ここで話したいのは、
「ダメだーって思ってても、意外と何とかなるときもあったなあ」ということです。
でもそれは「不安に思ってはいけない」とか
「とにかく何でも挑戦してみろ!」ということが言いたいわけではありません。
ただ、自分にとってあんまりにも高い壁に思えたものが、
終わってみるとそうでなかった、ということもあるなあー、くらいの話です。
「不安」や「絶望」を感じているときは、
なんか例えるなら、長くて暗い「夜(よる)」みたいな感じもします。
ずーっと落ちつかず、怖く、そわそわもやもやしているような感じでしょうか。
でも上に書いたように、終わってみると、その気分はパッと晴れたりします。
なんでそんなことが起こるのでしょうか?
だって本当に「もうだめだ」って状況だったなら、突破できるはずがありません。
「終わる」はずがないのです。でもそれは「終わった」。
つまりここでは、「実際は感じていたほど、八方塞がり*1ではなかった」と言えるのではないか。
そんなことを思ったりします。
それはつまり、その「絶望」や「夜」が「偽物」であった(見た目ほどのものではなかった)と、
言うなれば「絶望」や「偽物(にせもの)の夜」であったと言えるかもしれません。
まあ、その「絶望」や「夜」を越えて自分が強くなった、と言えるかもしれないので、
どっちに捉えるかはお好みですが。
念のために記しておくと、「偽物」という言葉を使っているはダメ出しがしたいわけではないです。、
「偽物を怖がるのは愚かだ」と言いたいわけでもないです。
筆者も毎回毎回同じようなことで怖がってますし。
それが偽物だろうが何だろうが、怖く見えるのは間違いないわけですし。
単純に「おびえていた時に思うほど、八方塞がりでもないかもなー」というくらいですね。
ただ、この「目の前の絶望が、見た目ほどのものではないかもしれない」という情報は、時に役に立つかもしれません。
例えば「絶対的な絶望に見える壁」があっても、
それが見た目ほどではない「偽物」であるかも?、という可能性を知っているのなら。
その時の不安は消えなくても、
不安を抱えながらでも、ちょっと道を探しやすくなるかもしれませんね。
まあそんな感じで~。
追記
今、何か不安に思っていることや「絶望」に見えるものがあるとして、
実際にそれが「偽物」かどうかなんて分かりませんし、
それを自分が越えられる保証は、ないかもしれません。
でも、未来の話はできなくても「自分が越えてきたもの」の話はできます。
いくつかの辛い思いをしたならば、それを越えて(あるいはやりすごして)来たのだということはできます。
何らかのものを、越えてきたのだと。
だから、過去に感じた思いや不安、あるいは絶望の思いが、
今や未来の不安を見つめる時に、役に立ってくれることも、あるかもしれません。
(思い返すのはパワーがいるので、気軽には勧められませんが)
追記2
あなたがもし、周囲の人より少し弱かったとして。
人のように強くなる、ということはできないかもしれませんが
自分が今まで越えてきたものや、
あるいは過去に「夜」を越えてきた、自分の力を借りることはできるかもしれません。