のっぽさんの勉強メモ

主に中学の学習内容を扱っています。不定期更新ですー。

1/16 こころの話:共感と優しさと「悪」 ~例えば共感や優しさが悪につながるかもしれない場合についての仮考~

 こころの話ー。
 共感(きょうかん)と優しさ*1、といった綺麗っぽいことが「悪」を生むこともあるのでは?という話です。
 文が雑なのでご注意を。

 そしてちょっとワルイ話なので、読むときはご了承とご容赦を。
 考察用ですが、ネガティブな言葉も詰まってます。
 「やだ…この筆者キモイ…」と思ったらそれで大丈夫です。たぶんあなたは悪くないです。

 過去記事「愛と平和、と戦争」*2の拡張記事であり、ちょっと内容が被っているところもあります。


 前置き。
 なんとなく新聞*3などを読んでいて思ったのですが。
 「犯罪」*4や「悪事」の反対にはよく「共感」や「優しさ」というものが置かれるように思います。
 つまり、そういったものが悪いことを止めてくれる、ということですね。
 過去記事でも、アダム・スミス*5の道徳論などで、同情、あるいは共感が大事なのではないかということを書きました。

 それらの前提には

 「他者の痛み*6に共感すれば悪いことはできないだろう」
 「悪いことをしてしまうのは、他者に対する優しさがないからだ」

 という論理があります。


 確かに筆者としても、共感や優しさが、悪いことを止める部分もあると思います。
 しかしそれだけでは無いかもしれない、とも思います。

 大まかに言えば、例えば次のような2つがあり得るのではないかと。

 ①量的不足:「悪いこと」に対して共感や優しさが足りていない場合、
  つまりありはするのだが、ストッパーには足りていない場合
 ②悪の原因:共感や優しさといったものが、むしろ悪いことを生む場合
  共感や優しさの能力を持っているからこそ、生じる悪がありうる

 …みたいな。
 この記事では主に②について考えたいと思います。


 思い付きなので文がまとまってはいないのですが、ちょっと書いてみますと。


 例えば「何に対して共感するか」、という問題があります。
 過去記事『愛と平和、と戦争』でも書いたように、
 自分の身近な人々にのみ共感し、それ以外の他者に共感しない、という場合があり得ます。
 つまり「自分の国を豊かにするため、隣国を征服して滅ぼそう」という感じですね。
 この場合は、この行動者の中に共感や優しさがないかというと、そうでもありません。
 むしろその偏りこそが問題になります。
 共感し、あるいは優しさを向けようとしているからこそ、
 (目的は間違っていないとしても手段のまずさゆえに)悪が生じる、という可能性があります。

 例えば自分の家族や民族*7が苦しんでいる様子に、あまりにも悲しみを覚え、
 それを無くすためならば、何をしてもいい、という風に思うこともありうるでしょう。
 その結果、世間では「悪」とされることもあるでしょう。

 この場合は「共感」がストッパーではなく、むしろ原因や加速要因となっています。
 「過共感(かきょうかん)」とでもいうべきかもしれません。
 過去記事『一生懸命やらないことの大事さ』*8と結び付けて考えますと、
 何に対しても全力であることが、いいことになる訳ではない、という感じかもしれません。



 また過去記事『人の不幸の蜜』*9で書いたように、
 人がしばしば他者の不幸を喜べることもあります。
 そしてそうできる理由を考えてみますと、逆にこれは「共感」ができるからではないかと思います。

 すなわち、他者のことを自分に重ねてみる「からこそ」、自分は「あの他者のように不幸でなかった」と思って喜ぶのではないか。ということですね。
 例えば誰かの
benkyoumemo.hatenablog.com
事故や不幸についてのニュース*10を見たときに、
 「自分はああならなくてよかった」とほっとした経験はありませんか?まあそんな感じです。

 また自分の痛みや怒りを共感してほしいから、人はしばしば憎しみを相手にぶつけ、
 その結果によって相手が不幸になったり困っている様子を見て「胸がスカッと」したり、満足感を覚えるのではないか
ということです。


 もう少し書かせていただくと、

 例えば、もしこれが「全く共感ができない」相手に対してではどうでしょうか。
 我々は、どうでもいい相手に対して本気で怒るでしょうか。
 石に対しても、動物に対しても、人間相手と同じように、感情をぶつけるでしょうか?

 ということを考えると、ある種の「共感の期待」ができる相手に対して、感情をぶつけているのではないか、ということが言えるかもしれません。

 相手がある程度同じと思える人間だからこそ、分かってほしい。
 感情を分かち合える相手だからこそ、共感してほしい。
 期待しているからこそ、裏切らないでほしい。

 という風に。


 仮にそういうものがあったとして、この考え自体は別に悪いことではないと思います。
 幸せという感情でこれが起こった場合、「幸せのおすそ分け」ですからね。
 (まあ無理やり幸せにしようとすると迷惑ですが)
 しかし、負の感情でこれ――言うなれば「感情の共有の強制」あるいは「負の感情の強制」――が起こった場合、
 それは相手に対する「攻撃」になり、「悪事」になる可能性があります。

 例えば「あいつは幸せそうでムカつくから、不幸にしてやろう」とか
 「俺と同じような思いを味わわせてやろう」という感じですね。


 そして期待している相手でも、自分の期待している反応を返さなかった場合、それは「怒り」や「落胆」になる可能性があります。
 そうして、相手に自分の期待していた行動を取らせようとするかもしれません。
 もしその時に、非合法・非道徳的な手段を用いればそれは「悪」となります。



 まあいろいろ書いてきましたが、これは共感や優しさを持ってはいけない、ということではありません。
 でも「共感や優しさを持っていれば大丈夫だろう」と思っていると、それは危ないのかも?ということではあります。
 それが偏っていたり、そこから悪いことが起こる可能性もあるので。

 言ってしまえば、どんなことも悪用は可能です。
 例えば適当でいいなら筆者でも、正義*11も善も優しさも共感も、悪用することができるでしょう。


 それはネガティブに聞こえるかもしれませんが、
 逆に言えば「悪いことを思っても、全部が間違っているとは限らない」とも言えます。
 手段は間違っていても、思いや目的は素晴らしいものである可能性がありますからね。
 以前書いたように、どんなものでも「悪用」が可能、ということは、
 どんなものでも「善用(ぜんよう)」も可能、ともいえるかもしれませんし。
 極端な話、筆者が色んなものを悪用して回ったとして、
 じゃあ悪用された物はすぐ全部ダメになるか、存在自体が悪か…というとそうでもないですし。


 自分が悪い考えや感情を持ったら終わり、なのではなくて、
 「そこからどうやっていいものにつなげるか」と考えることもできます。
 そうやっていい部分を見つけ出して、また違う手段を選ぶことが出来ると
 自分の望まぬ「悪い行い」を避け、より良い結果につなげられるのではないかと思います。


 まあそんな感じで~。


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*1:「優しさ」については 5/14 国語:「優しさ」と「優しみ」! ~「さ」と「み」の間~ - のっぽさんの勉強メモ を参照。

*2:11/2 社会+国+こころ:愛と平和、と戦争 ~言葉の食い違いから考える~ - のっぽさんの勉強メモ を参照。

*3:「新聞(しんぶん)」については 8/3 社+英:好きなものを使って授業をしちゃう!? ~ゲーム「なんでも〇IE」~ - のっぽさんの勉強メモ を参照。

*4:「犯罪(はんざい)」については 12/19 社会:都市運営ゲーム/「不正(ふせい)」編ですよ、市長! - のっぽさんの勉強メモ を参照。

*5:アダム・スミス」については 12/3 社会:アダム=スミスと道徳 - のっぽさんの勉強メモ を参照。

*6:「痛み」については 5/9 英語:「腹痛」などに関する英語 - のっぽさんの勉強メモ を参照。

*7:「民族(みんぞく)」については 1/13 地理:「かわいた大きな川」(札幌)のラーメン! - のっぽさんの勉強メモ を参照。

*8:1/15 学習:(時に)「一生懸命やらないこと」の大事さ!? ~配分の話~ - のっぽさんの勉強メモ を参照。

*9:2/14 社+こころ:「人の不幸の蜜」は減る!? ~幸福とコミュニケーション~ - のっぽさんの勉強メモ を参照。

*10:「ニュース」については 6/27 英語:ニュースソースとウスターソース! ~二つのソース~ - のっぽさんの勉強メモ を参照。

*11:「正義(せいぎ)」については 2/15 社会:「罰(ばつ)」と「やる気」の話 ~叱ることは気分がいい!?~ - のっぽさんの勉強メモ を参照。