のっぽさんの勉強メモ

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9/3 ゲーム:【※注意 論文調 個人的メモ】TRPG雑考メモ3 (TRPGと現実などの影響関係)

 ゲーム*1の話ー。
 色々ありまして、ちょっと「TRPG」*2という遊びについて色々考えたときのメモです。
 手元に持っててもいいのですが。自分で色々考えたくなったのでブログ上に載せさせていただきます。

※注意
 なんか論文調でやたら堅く難しいです。あと自分用メモなのでみんながわかるように説明はしていません。すみません。
 普段のよりさらに「勉強」とはあまり関係ありませんのでご注意を。


 今回はTRPGと現実などの影響関係について。



☆ゲームシステム*3と世界観(せかいかん)、を理解することの難しさ

 TRPGはいくつか特殊な要素を含むがここでは2つに着目したい。
 つまり、「ゲームシステム」と「世界観」についてである。これは日常における言葉のイメージと若干特殊な関係にあるように思う。

 TRPGシステムが現実においての概念や言葉を引用する一方で、それらは厳密には、現実におけるものと一致するわけではない。
 例えば、「警察官」という用語がTRPG中に出てきたとしよう。だがそれはゲームシステムにおいて「警察官」がどのように扱われているかを、完全には説明しない。
 現実での扱いはヒントにはなるが、厳密な扱いはシステムのルールによる。例えばポイント制ゲームでの警察官が「3ポイント」を持つか「5ポイント」を持つか、などということは、現実の警察官を見ていても、決定することはできない。それは独自のルールに基づくデータである。
 またTRPG中の「世界観」における「警察官」が現実のそれと一致するかも保証しない。例えば、その世界観では警察官が悪の象徴である可能性もある。また超能力者が活躍するゲームやホラーゲームでは、警察官はあまり有能でないことが多い。彼らが活躍しすぎると主人公たちの見せ場がなくなるからだ。

 ここから考えると、現実での知識・リアリティ*4と、ゲーム的なリアリティ、またはゲーム的な正解はまた別のものであると言えるだろう。現実的な行動を意識しすぎてゲームとして破綻すれば、それは現実的ではあるが、ゲームとしては破綻している。
 ならば現実的にはリアリティが多少破綻していても、ゲームとしては楽しみが破綻していない方が、ゲーム的な正解ではあるといえるかもしれない。この辺りは映画・アニメでのいろいろな表現に似ているともいえる。またはマンガの『トクサツガガガ』を参照。

 またこれは上と重複し、ゲーム全般にありえるが、現実の権力関係はゲーム中のそれを必ずしも規定しない。例えば現実で「王」と「王子」がおり、「王」の方が偉いとしよう。だがこの権力関係は、あるゲーム中では逆転している可能性もある。仮にゲーム名が『悪い王をやっつけろ! ~王子の革命~』などというものだった場合を想像してもらえば、特にわかりやすいだろう。

 つまりTRPGでは、「現実」(日常生活)でも使うような語彙を引用できる反面、それらに関わる要素はゲーム中では変化している可能性がある。

 これはTRPGを遊ぶ際の困難に関係しているようにも思う。つまり独自の世界観の理解に、労力がかかる可能性である。
 日常と大きくかけ離れる世界観や特殊な用語が多ければ、かみ砕くのには時間がかかるだろう。または日常の言葉が多くとも、それらが意味合いの違う言葉になっていれば、誤解を生じやすくなる。
 これらはゲームの世界観を生かしたロールプレイをしたいプレイヤーにとっては大きな壁となりえる。また準備時間や前提知識が多い、ということはそれだけで壁になりえる。
 半面、これはいつでもマイナスになるわけではなく、プラスに捉えることもできる。すなわち異文化に触れる楽しみである。海外旅行などの楽しみの一つが異なる価値観に触れることであるならば、TRPGで「違う世界」や「違う文化」を体験することも楽しみになりえる。



☆PLとPC
 「プレイヤーがキャラクターを動かす」と表現すると、プレイヤーがキャラクターの行動をすべて支配する絶対的な関係にも見える。
 もちろんそれはある種間違ってはいないのだが、キャラクターの類型の方がプレイヤーの行動を拘束する、もしくはそれに規範を与えるということも考えらえる。
 つまりTRPGでいうところの「このキャラはこういう風には動かないだろう」とか「PL的にこうしたいけど、PCはこうは動かないだろう」といったものである。
 TRPGは基本自由度が高いとはいえ、上記のようなイメージの共有作業をし、またキャラクター性格のロールプレイがTRPGの楽しみの一つである以上、キャラ性格を考察し、従うこと、または演ずることには意味がある。
影響関係について単純に場合分けするならば

1:PL→PC (PLの願望で、PCを動かそうとする)
2:PC→PL (PCの性格に、PLが沿おうとする)

といった相互影響的な関係がありうる。
 これは別にPCが一個の実態を持っている、というわけではない(概念的にそう理解してもいいが)。
 ただPLの構築した設定、またはPLの過去の行動記録は、ある程度の規範となりえるということだ。

 もちろんPLは過去におけるPCの行動を参照しなくてもいい。なのでPCが絶対な規範や拘束力を持っているとは言えないだろう。
 それは、参照してもしなくてもいい「リソース」と考えた方が良いかもしれない。拘束力は違うが、裁判で過去の判例を参照することに若干似ている。

 リソースを参照すれば、それはPCを表現する役に立つかもしれない。
 人間の性格や、それに対する判断というものが、過去の行いや連続性にある程度拠っていると考えれば、
 PCにおいて連続性を持たせようとすることは、キャラクターの「人間性」表現に役立つかもしれない。
 それはPLが演じることを楽にさせるという可能性も持つ。完全に無秩序な人間を「演じ」ようとするのは、それはそれで疲れるかもしれない。
 ある程度積み重なった記録や情報は一貫性と指向性を持つ場合がある。つまりキャラとして性格がはっきりしてくるということである。こうするとそのPLやGM、また他PLにとってもキャラクターに関わることが容易になる。
 マンガ作家の語りにしばしば「キャラクターが勝手に動き出す」というものがあるが、それとも似ているかもしれない。




☆GMを取り巻く相互作用
深くは考察しないが、
GM→PL (ハンドアウト・シナリオ等の提示)
PL→GM (要望)
 という相互作用も考えられる。
また
 GM→PC (ハンドアウトやGMの要望に沿ってキャラメイク、またはシナリオ自体によるPC性格・描写の変化)
PC→GM (GMがPCをシナリオ作りの参考にする)
というものも同様。
 物語の潤滑剤としてのNPCなどは、考察すると視点によっては面白いかもしれない。



☆TRPGの効用
 ゲームとしての性格が強いTRPGであるが、あえて社会的な「効用」(必要かどうかはさておき)を考えるならざっと次のようなことが思いつく。

・会話等におけるイメージの共有作業の確認
・会話における共通イメージの破綻時の隠蔽・フォロー
 またはその「破綻」という事態の発覚までの記録
・社会でマイナスに見られるのはどのようなコミュニケーションの型なのか。
 まあ、逆に理想とされているのはもちろん大した理由がない可能性もあるのだが。
 もしもある具体的な問題があるのなら、それを解決するテクニックがあれば、当人が話しやすくなる可能性もある。
・現実の社会問題のシミュレーション(シリアスゲームの用法)
 →ちょっと違うがスウェーデンとかでは『マインクラフト』*5を利用した教育をやってるらしい

・心理学や行動療法・認知療法などにおける「ロールプレイ」の効用
 (自身が抱える問題の切り離し、客観化)
 →TRPG中のロールプレイで行える可能性

 等が考えられるだろう。


まあそんな感じで~。