ゲームの話ー。
色々ありまして、ちょっと「TRPG」という遊びについて考えたときのメモです。
手元に持っててもいいのですが。自分で色々考えたくなったのでブログ上に載せさせていただきます。
※注意
なんか論文調でやたら堅く難しいです。あと自分用メモなのでみんながわかるように説明はしていません。すみません。
普段のよりさらに「勉強」とはあまり関係ありませんのでご注意を。
今回のテーマは「TRPGにおいて、ものや設定を作り出すこと」ですが、
メモ書きなのでいきなり話が途中から始まっていたりします。すみません。
あと、以前まとめて書いたときから時間が経っているので、話題や内容がかなり重複しているかもしれません。
あくまで個人的な(汚い)ノートやメモの一部とお考え下さい。
☆TRPGにおいて、ものや設定を作り出すこと①
◆知識の共有について
(まず「もの」をどういう風に知っているか、思っているか、ということ)
・笑い話の一つに「米を洗う時に、洗剤で洗ってしまう若者」という話がある。
改めて考えてみると、それを笑い話と取るには「米は洗剤では洗わない」という知識を共有していなければならない。
(例えば正しい米の洗い方を知らない人たちにしてみれば、特に笑い話ではない)
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ジョークや皮肉には前提となる知識の共有が必要である。
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また料理のレシピでは、「人参400g」という内容や手順は書いてあっても、「まず野菜を洗います」ということは特に書いていないものは多い。
おそらくそれは、前もって知っているのが前提である。
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我々は、いつもすべてのことを話すわけではない。
我々は「相手はこれくらいわかるだろう」「できるだろう」「しゃべらなくても伝わるだろう」と思っていることもあり、
それが「通じなかった」ときに「驚く」。「期待(きたい)」や「思い込み」が外れたりするわけだ。
・ある言葉はそれだけが独立して存在するわけでなく、
ある状況に関連したり、また他の言葉を含んだりしながら、ある程度「語群(ごぐん)」をなすことがある。
例えば「犬」*1という言葉はそれだけであるわけでなく、
その種類として「チワワ」や「ゴールデンレトリバー」が入っていたり、
関係する言葉に「ペット」や「散歩(さんぽ)」などがあったりする。
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それらの関係性や大小も、また知識である。
逆に言えば知らなければ知らない。「犬」という言葉を知っただけで、それらがすべて頭に入るわけではない。
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人は言葉を学ぶとともに、言葉同士の関係性を学ぶ。
言い換えれば、人は自分の中に、言葉の関係性を作り上げる。
すでに出来上がっている「犬」という言葉のセットを取り入れるのではなく、
自分の中で作り上げる、という方がしっくりくる。
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そのため、これらの言葉やもの同士のつながりは一つでないし、絶対的ではない。
つまり色んな理解のされ方をする。
例えば「ゴールデンレトリバー」の一種に「犬」がいることや、
また「ゴールデンレトリバーしか犬はいない」と思うことは可能である。
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これは「誤解」や知識不足にも思えるが、同じようなことは色々起こってきた。
かつて歴史上では、例えば「ヨーロッパだけが世界」(他でも同様なことはあった)とされたことも、今の世界で「人間」とされる人々が、昔は「動物」や「悪魔」と理解されることもあった。
また過去記事で書いたように、昔の時代、雷とは神の怒りであった、現代においては電子の動きである。だがそれらも未来ではまた変わるかもしれない。
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何が正誤というわけでなく、関連する言葉や理解・世界観は、それぞれで違うということ。
現代でも複数の宗教がある以上、どれが「正解」「誤解」と言い切るよりは、色々な「考え」があるといった方がいいかもしれない。
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関連して、例えばある人にとっては「戦争」と「平和」は反対概念*2で同時には存在しえなくても、他のある人にとっては同時に存在しうる可能性もある。(例:「平和のための戦争」「制限戦争」など)
もちろんこれは道徳的な善悪とはまた別の話である。
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またある人が動物「アルパカ」をアニメで知ったなら「アニメ→アルパカ」であり(イメージ姿もおそらくアニメ映像)
他の人が動物園で知ったなら「動物園→アルパカ」という関係性である(イメージ姿はおそらくリアル準拠)
そしてこの二人が「アルパカ」という言葉を聞いたら、まず思い浮かべるものは違うだろう。
同様に「私にとってアルパカと言えばこれ」というのも異なる可能性がある。
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ちなみにここでは「映像」もまた一つの資源(リソース)・資料としてとらえている。
パソコンのイメージで言うと、「メモ」も「画像ファイル」もそれぞれ一つの「ファイル」なのである。
ファイル同士にはリンクが張られ、心理学ていう「チャンク」になり「エピソード記憶」になりうる。
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これは何が合っているか間違っているか、という話ではない。
それぞれの中にある出会い・順番・関連が違うだけだ。
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心理学的な話をすればエレベータで地震に遭いトラウマになった人は、「エレベータ→地震」というイメージを持ちうる。
それは一般的な知識ではないにしても、当人にとっては「経験」という知識である。
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その結果、「資源/リソース」として、「これは何に関係ある言葉か」という範囲が人によって違って来る可能性がある。
・アメリカでは「進化論(しんかろん)」を否定する人が一定程度いるらしい。
キリスト教の世界観と矛盾を起こすところがあるからである。
その人たちと一緒に「進化」や「恐竜」、あるいは逆に「天使」などに関わるTRPGで遊ぼうとすると、
激しい文化的摩擦や、イメ-ジの共有失敗が起こる可能性もあるだろう。
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同様に、侍(さむらい)*3が好きな日本人が、よく分かっていない外国人と一緒に遊ぶと、何か言いたくなるかもしれない。
もっともこれは、好き嫌いや知識量の話なので、必ずしも国籍は関係なかったり、逆も起きたりする。あくまで一例。
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これに関しては心理学における、フェスティンガーの「認知的不協和」概念や。
昨今の「フェイクニュース」関連の話なども参考になるかもしれない。
これもやはり正誤ではなく、世界をどういう風に見るか、ということの違いの話である。
・TRPGにおける「もの」や「設定」の存在/不在は「状況に対してそれが意味を持っているか」、というのも一つの基準になる。
シナリオのテンポを損ねるなら、無視されうるものはいっぱいある。重量なども含め。
プレイヤーがある設定や提案を申し出たとして、「世界観」や「シナリオ」に対して「不適」ならばそれを否定される可能性もある。
場合によってはそれが世界観的にありそうな「正しい」ことであっても、である。
例えば『天羅万象・零』や『グランクレストRPG』など、戦争を扱うTRPGのルールブックでは、しばしば「戦争のリアリティを求めすぎて他プレイヤーの気分を損ねる」ことがないように注意している。これはあくまでゲームなのだから、と。
→わき道疑問:
TRPGにおいてものを出したり消したりすることは、パソコンやゲーム・VRでの画像出しや消去とどう違うのだろう?
まあ違うと言えば違うのだが、どこが違ってどこが似ているのだろうか。
「想像」の世界を頼らずとも、現代では画面上でさまざまな画像・3Dグラフィックを操作することができるようになったわけだ。
これはざっくり言うと「もの」を出したり消したりしている、すごいことに見えもする。
当たり前と言えば当たり前だが、面白い。
☆ルールなどの物質化の度合い(低いものから)
・演劇のエチュード(即興劇)
・ごっこ遊び
・ルルブ(ルール)のないTRPG/サイコロアリ
・ルルブのあるTRPG
・「マップタイル」やフィギュアありのTRPG
・ボードゲームなど
→これで言うとおそらくTRPGはエチュードほどは「自由」やノールールではない
・仮にものの存在や設定が提案されたとしても、それが全部通るわけではない。
例えばルールに関係なくプレイヤーが「俺のキャラは伝説の剣を持ってるので、相手は全部倒れます」と言っても、
それはたぶんGMや他のプレイヤーに否定される。
「それは別にルールやデータではないよね?」みたいなことを言われる。
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一方で「俺のキャラクターは、水筒を持っていたことにしてもいいですか?」位の提案なら
受け入れられる可能性も高いだろう(舞台が砂漠で、水が貴重とかでなければ)
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ともあれ、相手の提案・演技を否定することがあったとして。
相手の設定や発言・提案への「否定(ひてい)/negation)」の根拠となるものを
仮に「否定資源(ひていしげん)」と呼ぶことができるかもしれない。
→もっとも、これは否定のためにしか使えないわけでなく、否定のために用いている、というだけだが。
・善悪は置いておいて、TRPGには「ゴールデンルール」というものがある。
これはその場のゲームマスターが必要に応じてある程度ルールを変えられる、ということである。
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これの存在を考えると、「公式のルール」さえ否定・改変される可能性はあるわけだ。
例えば「ルール的には問題ないけどそれは雰囲気を損ねるからやめてね」とか。
「バランスを損ねる/気に入らないからこのアイテム・技は使用禁止」とか
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こう考えるとTRPGは「何でもあり」にも思えるが、全部がそういう訳でもない。
ルールブックやサイコロがあれば、それについての「否定」は(心理的に)しにくくなる。
これは上に書いた「物質化の度合い」にも関係している。
・その世界観に「不適切な」ものがTRPGにおいて「導入」、あるいはRPG的に言えば「召喚(summon)」されそうになることもある。
(例:ファンタジーなのに理由なくプレイヤー・GMなどが「携帯電話」を持ってくる、など)
それを否定するには上記のような「否定資源」などが使えるだろう。具体的にはルールや世界観などが。
もっとも何が「不適切」であるかはその場のメンツによって判断されるものであり、厳密に前もって決まっているわけではない、またルールブックにおいて決まっていても無視ができる。
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「もの」や設定の「否定」や「召喚」はプレイヤーによっても行うことができる。
プレイヤーがNPCを乗っ取ることもできるし展開を提案することもできる。
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そう考えると当然「召喚」に有利な資源や理由もある。
「プレイヤーの楽しさ」「ゲームの楽しさ」「「面白さ」などは、召喚への柔軟な対応を援護する資源になりうる。
これは否定資源に対して「肯定資源(こうていしげん)」とでも言おうか。
もっとも、言葉はあまり重要ではない。
・ここまでTRPGをイメージしながら「その場で設定を作る」ことについて書いてきたが、
他でも、演劇やドラマにおいてもアドリブはあり、またそのアドリブにNGを出すこともありうる。
根拠は普通に、①アドリブが理解不能、②不適、③共演者の受けそこね、④監督の采配、などなどありうる。
その意味ではTRPGだけではないことを忘れてはいけないだろう。
・言葉のイメージは人によって異なる。これは日常においても同じである。
例えば「テーブル」といった時に、そこに「椅子」がいくつついてくるかは特に決められていない。
「4つ」と思う人もいれば、「2つ」と思う人もいるだろう。
場合によっては、そこに椅子がついてくること自体を理解できない可能性がある。
これは文化や常識・知識によっても異なる。
そこを暗黙のまま進めてしまうと、「何で椅子がついてくるんですか?今はテーブルの話をしているでしょう」となる。
例:
GM:「部屋の中にテーブルがあります」
A:「ではテーブルの前の椅子に腰かけて休憩でもしようかな」
B:「まってください。GMは一言も椅子があるとは言ってません。椅子はどこから出現したのですか?」
日常的な尺度からすると、これはBの発言が「空気を読んでいない」とか「知識不足」という風にも見えるが、いつもそういう訳ではない。
Bの方が「正しい」とう場合もありえる。
例えば熟練TRPGプレイヤーによるダンジョン・シナリオや推理ものだと、常識を逆手に取ってトラップをしかけるということがありうるからだ。
そのような場合は「逐語的(ちくごてき)に」、つまり言葉を細かく確認することが重要になるかもしれない。
「宣言したものだけがあるだろう」というルールでやるわけである。
だが我々はいつもこのように話しているわけではないので、(ゆえにBの発言は正しくはあっても「不適切」に見えがち)
あくまでこれは会話や言語の一つの「モード」としてとらえるのが良いかもしれない。
これを考えると、逆に普段のTRPGにおいて、描写されたものだけが「そこ」に存在する、ないし存在すると考えられてるわけではないだろう。
言葉はイメージによってその目的・付属物の「セット」をある程度持つ(これは最初からではなく、文化的なものである)ことがあり、
これを認識しておくことで、我々はある程度のことを想像・期待できるようになる。
我々は無意識的にある程度の「ショートカット」を計り、その思いを共有できたときにそれに成功するとも言える。
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言葉に関連する言葉の「セット」があるのはある意味当然である。
ある言葉はそれだけ単品で生まれてくるというより、実践や会話の中、行動の説明のために生み出されるものだろうと思われる。
そのため、ある言葉は文や例文の中で他の言葉と関わりながら意味を形成し、またがそれが説明されると思われる。
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「セット」というより上記の「語群(ごぐん)」という言葉を使った方がいいかもしれない。
・TRPGにおいてゴールデンルールがある以上、
物があること/ないこと・またPCデータのあらゆる情報は、
あくまで「宣言」であり、「約束」に過ぎないと考えることもできる。
つまりそれは自由に破ることも無視することもできる。
ただその結果、それが「そのゲーム」を遊んでいるとは見られなくなる可能性もある。
例)ルールや世界観ををいじくって、ほぼ『アリアンロッド』風にした『ダブルクロス』は、
『ダブルクロス』を遊んでいるというよりはアリアンロッドを遊んでいると見なされるだろう。
・会話前提の共有・非共有に関してはお笑いコンビ「アンジャッシュ」のネタを調べてみるのも面白いかもしれない
・TRPGだけでなく、日常においても予想の共有やその「否定」は起こりうる。
「例えば」という言葉を使えば、人は空想的なことや、現在と違うことをしゃべることができる(英語におけるif節など)
だがこの「例えば」という段階が否定されることもある。
「そんなことは起こりえない」「絶対にない」ということを言われ、そこで会話が続かなくなる場合である。
(逆にディベートで相手をとにかく否定したければ、前提を共有しなければいい)
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まあこれを仮に(格好つけて)「空想テーブル」や「ifテーブル」や「会話の空想領域」とでも呼ぶとして。
(名前は重要でなく、そういう「場所」があるとして)
そこへカードゲームでいう「着地(ちゃくち)」を許されなければ、その後の発展的な話は難しくなる。
例えば全体として強力な「コンボ」になるような話でも、そもそもコンボの最初が発動しないわけだ。これでは出鼻をくじかれる。
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カードゲームにおける「スタック」という言葉に関連する話になる。
そもそも着地できないか、話を始めた直後に重ねてカウンターで「否定」を食らうなど、といったイメージ。
昔の人物「ソクラテス」は「三段論法(さんだんろんぽう)」が得意だったらしいが、
一番最初から受け入れられないようでは、それも難しくなるかもしれない。
*1:「犬(いぬ)」については 12/29 国+理:「犬(いぬ)」も「侍(さむらい)」になりますか? ~「犬侍(いぬざむらい)」と「文化(ぶんか)」の話~ - のっぽさんの勉強メモ を参照。
*2:「概念(がいねん)」については 9/2 国+英社:「不動産(ふどうさん)」はリアル(real)に動かないですか? ~「real estate」と「immovables」~ - のっぽさんの勉強メモ を参照。
*3:「侍(さむらい)」や「武士(ぶし)」については 12/27 社会/騎士(きし)と馬(うま)の話(ざっくり) - のっぽさんの勉強メモ を参照。