歴史+国語の話ー。
金槌(かなづち)*1の一種、「玄翁(げんのう)」という道具の由来の話です。
妖怪「玉藻の前(たまものまえ)」の話を交えつつ。
前置き。
改めて、「金槌(かなづち)」とは工作に使う金属製の鎚(つち)、ハンマーのことですね。
主に釘(くぎ)を叩いて打ち込んだりして使います。
で、そんな金槌の一種に「玄翁(げんのう)」(または「玄能」)という道具があるのですが、
これの由来が結構すごかったりします。
というのも、なんか妖怪的なサムシングを破壊したようです。
ざっくり言うと、昔の日本の「那須(なす)(今でいう栃木県)」というところに「殺生石(せっしょうせき)」という石がありまして。
近づく者を死なせてしまうようなヤバい石だったらしいのですが。
これを「南北朝時代(なんぼくちょうじだい)」に、「玄翁(げんのう)」(「源翁心昭(げんのうしんしょう)」)というお坊さんが、金槌で叩いて砕いたと。
このことから金槌の一種を「玄翁」と呼ぶようになったそうです。
これだけ書くと「石を砕いた物語」みたいな感じですが、そもそも「殺生石」がヤバいものらしく。
なんでも狐*2の妖怪「玉藻の前(たまものまえ)」が変化した存在だと言われています。
この「玉藻の前」は平安時代に「鳥羽上皇(とばじょうこう)」をたぶらかしていたのですが、正体を見破られ逃走。
やがて追い詰められ討たれたのですが、その時に自分の体を上記の「殺生石」に変えたのだと。
以後、玄翁さんが破壊するまでは近づく者を死に追いやってきたそうです。
いろんな徳の高いお坊さんも殺されてしまったようで。
そう考えると金槌でこれを破壊した源翁さんすごいですね…。
殺生石の状態を考えると、単なる石というよりまだ妖怪みたいな感じなので、
玄翁さんは金槌で妖怪退治をした、とも言えるかもしれません。
で、そんな玄翁さんの名前が、今の道具「玄翁(げんのう)」にも引き継がれているわけですね。
例えば学校の技術工作の時間に、金槌の「玄翁」に出会ったら、
この「金槌で殺生石を砕いた」話などを思い出してみると、ちょっと面白いかもしれませんね。
まあそんな感じで~。
◆用語集(※人名等、敬称略)
・玄翁(げんのう)【道具】:
・源翁心昭(げんのう・しんしょう)/玄翁(げんのう):1329 - 1400。
南北朝時代の、「曹洞宗(そうとうしゅう)」の僧。
エピソードが伝説っぽいが実在の人物のようだ。
Wikipediaによれば殺生石を砕いたのは1385年のことで、この功績により翌年、後小松天皇(ごこまつてんのう)より法王能昭禅師の号を賜ったらしい。とても具体的な年号が出ている。
他にもWikipediaによれば、悩む毒龍(どくりゅう)に引導を渡し成仏させたという話もあるらしい。エピソードが強い…。
・殺生石(せっしょうせき):
伝説上の人を殺しまくる石…と思いきや。実は、実在する。
その場合は、栃木県那須町の「那須湯本温泉」付近に存在する溶岩を指す。
Wikipediaによれば俳人「松尾芭蕉(まつおばしょう)」*3も訪れており『おくのほそ道』に光景を読んだりしたらしい。
また周辺には「硫化水素(りゅうかすいそ)」、「亜硫酸ガス」などの有毒な火山ガスがたえず噴出しているらしく、これが「人を死に至らしめる石」と呼ばれるようになった理由ではないかとも思われる。そのため、理系の人が見る「殺生石破壊」の話は、また違った意味を持ってくるかもしれない。…しかしその場合、逆に玄翁さんはこれをどうやって砕いたのかが気になる。…ガスマスク?
・玉藻前(たまものまえ)/「玉藻の前」:
鳥羽上皇をたぶらかしたとされる、狐の妖怪。
「九尾の狐」や古代中国の「殷(いん)」の「妲己(だっき)」とも同一の存在であるともされる。そう考えるととてもすごい大妖怪。
妲己は太公望(たいこうぼう)に退治されたらしいのだが、その後も天竺(てんじく)…今のインドとか周とかで悪いことをし、挙句の果てに「吉備真備(きびのまきび)」の乗る遣唐使船で日本にやってきたらしい。そして、玉藻前(たまものまえ)になったと。…とても歴史的でグローバルかつ迷惑な話である。
Wikipediaによれば「玉藻前」の実在のモデルは。鳥羽上皇に寵愛された皇后「美福門院(藤原得子)」ではないかとされているらしい。が、詳細は不明。
ちなみにゲーム『モンスターストライク』や『Fate/Grand Order』に出ていたりする。
そしてまた違う話だが、日本には「タマモクロス」という競走馬もいたりする。
・後小松天皇(ごこまつてんのう):1377年(天授3年) - 1433年(永享5年)。
室町時代「北朝」最後の第6代、歴代第100代の天皇*4。
父は「後円融天皇(ごえんゆうてんのう)」。
一時期は足利幕府3代将軍「足利義満(あしかが・よしみつ)」の傀儡(かいらい)…つまり、言うことを聞かされる存在であったらしい。
ところで平安時代の終わりが1185年か1192年ごろとして、そこから殺生石が破壊される1385年までには200年くらい経っている。
なので「平安時代に玉藻の前が殺生石に変化した」の話が本当だとすると、200年くらい放置されてきた人を殺しまくる石を、玄翁(げんのう)さんが金槌で壊したというのは何気にすごい話じゃなかろうか。
まあ金槌というより本人の能力がすごいのだと思うが、報告された後小松天皇もびっくりしそうである。
もし足利家との関係でイライラしていたのなら、余計に「よくこの代でやってくれた…!」みたいな感じだったかもしれない。玄翁半端ないって!妖怪の変化した殺人石でもめっちゃ壊すもん…
ちなみに「一休さん」で知られるお坊さん「一休宗純(いっきゅうそうじゅん)」*5は後小松天皇の子どもであるという説もあるらしい。
*1:「金槌(かなづち)」や「槌(つち)」、「ハンマー」については 2/1 英語:英語マシーン2/我が手に来たれ、英語の剣! - のっぽさんの勉強メモ を参照。
*2:「狐(きつね)」については 1/17 英語:実践/「車(くるま)/car」が「カード/card」に変わる道!? ~ローマ字ちょい足しゲーム実践編~ - のっぽさんの勉強メモ を参照。
*3:「松尾芭蕉(まつお・ばしょう)」については 5/5 国語:俳句(はいく)/こどもの日・ああこどもの日・こどもの日 - のっぽさんの勉強メモ を参照。
*4:「天皇(てんのう)」については 3/18 社+国:天皇(てんのう)さんと五穀(ごこく)の祭り! ~祈年祭(としごいのまつり)、新嘗祭(にいなめのまつり)~ - のっぽさんの勉強メモ を参照。
*5:「一休さん」として知られるお坊さん「一休宗純(いっきゅうそうじゅん)」については 11/19 美+歴:「死(し)」を思う態度 ~ヴァニタス、ニヒリズム、そして一休さん~ - のっぽさんの勉強メモ を参照。