のっぽさんの勉強メモ

主に中学の学習内容と、それに絡みそうな色んなネタを扱っています。不定期更新ですー。あ、何か探したいことがある場合は、右の「検索」や記事上のタグやページ右にある「カテゴリー」から関係ある記事が見られたりします。

3/11 社+こころ:「痛み(いたみ)」と「悼み(いたみ)」の話 ~10年目の「3・11」の話~

 社会+こころの話-。


 3月11日の「東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)」に関して、
 筆者のなんとなく感じたことの話です。
 主に「痛み(いたみ)」と「悼み(いたみ)」について。


※以下にはネガティブな内容も含まれますので注意。
※普段以上にだらだらした文になっております、すみません。


 前置き。
 本日は2021年の3月11日(3・11)…ということで、
 2011年の「東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)」から10年ですね。


 ちょっとネガティブな話で恐縮ですが、
 筆者も今日は震災当時の恐怖を思い出して、
 気分が苦しくなったりしていたところもあります。


 で、改めて何を書いたものか、と悩んでいると。
 「追悼(ついとう)」という言葉に含まれる「悼」の字が
 「悼(いた)む」という意味であることに改めて気づきまして。
 (「悼(いた)む」とは、人の死を悲しむことですね)


 「いたむ」、または「いたみ」という音では
 「痛む(いたむ)」や「痛み(いたみ)」という言葉もあります。
 …筆者が今日苦しくなっていたことは、「痛み」を覚えていた、と言い換えることもできるかもしれません。


 筆者は自分勝手(じぶんかって)&薄情(はくじょう)な性格ですので、
 他者の「痛み」に共感するとか、
 色んな人をちゃんと「悼む」ことは、なかなかできてなさそうですが。
 

 そんな筆者でも、今日「自分」が「痛み(いたみ)」を感じていたことで、
 少しは謙虚(けんきょ)な気持ちになっていた気もします。
 なので、それが「悼み(いたみ)」につながって、
 普段より、誰かを「悼む(いたむ)」ことができていればいいなあ…、なんてことを思いました。
 (※ダジャレ分が強くてすみませんが、何かの縁を感じた所はあります)


 …まあ本当は、もっと素直に悼む気持ちになれればいいのですが。
 それは今後の改善点とします。すみません。



 改めて震災犠牲者の、ご冥福をお祈りいたします。





追記
 震災については、筆者は、
 「覚えていなければ」という思いがある一方、
 「当時の恐怖を思い出したくない」という思いもある気もします。
 なかなかバランスが難しいですね。


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