のっぽさんの勉強メモ

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10/6 社+こころ:大事だけど、自分にとってはちょっと重いかもと感じる、ニュースとの付き合い方 ~「ノーベル平和賞」の話題から考える~

 社会+こころの話ー。

 今年の「ノーベル平和賞」の話から、「性暴力(せいぼうりょく)」など、
 「とても大事なんだけど、自分にとっては『重く』も思え、取り扱いが難しい感がある話をどうするか?」みたいな雑文です。
 ちなみに具体的な話ではなく、そこら辺の難しさについてのもやもやの話であり解決はしてません。


※以下には話題的に、性的な話題や、暴力・犯罪の話題、
 あと筆者の個人的な考え、偏った話、人に対してすごく失礼な話なども含みます。
 読まれる場合はお気を付けください。


 前置き。

 ニュースで知ったのですが、今年の「ノーベル平和賞」の候補に
 人権活動家の「ムクウェゲ」氏と「ムラド」氏のお二人が選ばれることになったようです。

 「ムクウェゲ」氏こと「デニ・ムクウェゲ」氏はコンゴ民主共和国の方で、
 「ムラド」氏こと「ナディア・ムラド・バセ・タハ」氏はイラクの方ですね。

 お二人とも、「性暴力(せいぼうりょく)」(特に戦時の)の根絶に向けて活動されている方であり、
 ……特にムラド氏の方は自身が「イスラム国」による性暴力被害者でもある、という話です。



 お二人の経歴などについては、他の正式なニュースなどを見て頂くとして、
 こういう「重要だけれど、話題的には(少し、あるいはとても)重く感じられるニュース」を見ると、
 筆者としてはつい考えることがあります。



 それは例えば、子ども(と呼ばれる方々)に、「世界にある残酷なことを、どのタイミングで、どう教えるべきか」ということです。


 まあこう書くと「誰もが知るべき大事な事だろ!」とお叱りを受けるかもしれません。
 そこら辺は筆者の不徳・不勉強の致すところです。すみません。


 でもその上で書かせていただくならば、
 世界にはいろんな不幸、残酷なことの種類があって、それに関わる情報もあるわけです。
 で、その情報をいつでも全部教えていいか、というと、それはちょっと気を付けた方がいいかもしれないと思います。


 何故なら、ある種類の情報は人に色んな気持ちを抱かせるかもしれない、と思うからです。


 例えば、まずすごく単純な話、
 「傷(きず)」とか「病(やまい)」という言葉や文字は、見ただけでちょっとイヤな感じもしますし、沢山見ると暗い気分になったりもします(個人的感想ですが)。
 そしてさらに、残酷な話、例えば歴史や戦争などの、人の生き死にや人間の醜さ、ひどいことに関わるような情報を知ると、より何とも言えない気分や暗い気持ちになったりすることもあります。そこから色々学び取るべきなのでしょうが、しばらく気持ちの処理でいっぱいいっぱいになることもあります。
 あと「性教育(せいきょういく)」の内容やタイミングについては、時々ニュースでも話題になったりしているかと思います。


 そのように情報によっては、知ることで(それのせいではなくとも)嫌な気持ちになったり、影響や衝撃を受けたりするものもあるかと思います。
 それらが割とすぐに回復可能なものならいいのですが、
 場合によっては、人間観や人生観が大きく変わったり、トラウマになったり、
 あるいは聞き手の状況によっては、まあ精神のバランスを崩す、ということもあり得るかもしれません。情報の重さや残酷さにもよるのですが。


 誤解してほしくないのですが、これはあくまで「話の上での一例」であります。
 「上に書いたような(性暴力に関する)ニュースを知るとそういうことが起きる」と言いたいわけでも、
 「だからそういうことは教えない方がいい」と言いたいわけでも、全然ありません。
 むしろ「それらを知って対処していくために、余計なストレスやショックをどう防ぐことができるだろうか?という話です。



 で、そもそも、「重い」「重要な」ニュ-スに限らず、全ての情報はある程度の「重み」を持っているかと思います。
 例えば、一度に色んな事を考えなければならない、という時には、
 一つ一つは軽いテーマであっても、ごちゃごちゃしてイライラするかもしれません。

 そして、人はそれぞれの生活をそれぞれのペースで送っており、
 その中で頭は「それぞれの生活」のことで、いっぱいいっぱいになっているかもしれません。
 (このあたりについては過去記事の『幸せなのに何故か疲れる!? ~情報量のパンクの話~』や『しばらく「ずっと相手のターン」!? ~「グローバル化」をゲームから考える~』などでも書こうとしたことであります)


 そんな時に新しく「すごい重要なのだけれど、重いニュース」が知らされたらどうか。
 人が「限界」まで集中力を使っている時に、思わず集中力を取られるようなニュースが知らされたらどうか?
 気持ちに「負荷(ふか)」、ストレスをかけるようなものがあったなら?
 …そうすると、人によって、限界を超えて、何かのバランスを崩してしまうこともあるのではないか?と思います。
 例えば「もう全部イヤだー」ってなってしまうみたいな感じですね。
 (※これは、何が良いとか悪い責任が誰にあるとかではなく、単に重量とバランスの話です)


 で、バランスを崩してしまったとすると。
 その人にとってはその「大事なニュース」が、自分のバランスを崩した「決め手」に見えてしまうのではないか?
 そうすると、その人はその「大事なニュース」のことが「敵」に見えたり、恨んでしまうのではないか?ということを思ったりします。

 だってその人にとっては「自分の生活のバランスを崩した(ように思える)のはそのニュース」みたいな感じですからね。
 例えそのニュースが世界的に重要な事であっても、当人に取っては自分の方が大事なら、さして関係ないかもしれません。

 そうすると「世界で考えなければならない大事な事」なのに、
 それで「バランスを崩した」(あるいはイヤな気分になった)からこそ、
 そういう話題を嫌いになったり、避けたり、恨んでしまう人が出る、という可能性もあるわけです。
 (※これは話題の重要度や善悪、責任とはまた別の話です)



 とまあ、「語らなければならないこと」があったとして、
 それを語ることの難しさ、というのもまたあるかもしれない、かと思います。

 もちろんだからといって「何も主張してはいけない!」という訳では全然なく、
 単に、筆者自身の迷いとビビりですね。どう伝えるかということに関しての。

 まあこれは単に筆者のスキルが足りなくて、一人で悩んでいるだけかもしれません。
 上手く割り切れる方は「まだまだだな」と思って下さればですが。


 ただ、世の中をなんとなく見るに、
 あることを「正しい」と思って主張している方がいても、
 その言い方や、「とにかくこれを知るべきだ」という強めの主張によって、
 逆に一部の人から反論を受けたり嫌われているようなこともあるように思います。
 (※注意 特に今回のノーベル平和賞絡みの話というわけではありません)
 それは、せっかく大事なことを伝えようとしているのに、ちょっと残念ですね。


 また近年、世界では過激な政権が出たり、「フェイクニュース」や自国の中心主義が流行っているようですが、
 そこら辺の一部にも「世界が複雑なのが嫌だ」「暗いニュースばっかりなのだ嫌だ」「もう考えるのが嫌だ」という要素があるかもしれない、と思います(勝手な想像ですが)。


 なので、「せっかくならそこら辺をうまくできればいいなー」とか、
 「大事なことを、よりみんなで考えやすくならないかな?」などのことを、
 もやもや考えた次第でございます。



 長文&雑文すみませんでした。



 まあそんな感じで~。





追記
 ただ、誰かにとっては重く思える話でも、当事者にとっては当たり前ですが自分自身の「経験」であり「思い」であり「事実」であるかと思います。
 また話題の中に自分の思い・経験・痛み・屈辱が含まれているだろうことを考えると、その「話題」が避けられることで、
 「私の話を無視するのか!?」とか、「私をなかったことにするのか!?」、「私から目をそらすのか!?」という風に思えてしまうかもしれません。
 それも(筆者にとっては)また難しい話です。

 ただ、その上でさらに難しい話を考えてみると
 その話の受け手側も「じゃあ自分の生活や気分より、あなたの話を優先しろっていうのか!?」「こちらの経験や想い、日々の痛みはどうだっていいのか!?」みたいな気分になるかもしれません。
 (※キレ気味なのは誇張表現です)
 どちらが良い悪いというのは置いておいて、人は何ででもいっぱいいっぱいになる可能性はある、みたいな感じですね。

 かといってこの場合の受け手側の主張を延長して「不快に思えるものは全部耳に入れない」とすると、
 世の中の大事なニュースなどは耳に入れないし知らない、苦しんでる人がいても全部無視していい、みたいな話になってしまう感もあります。
 まあここでは極端な例を使っていますが、バランスが難しいですね。


追記2
 またちょっと違うかもですが
 「東日本大震災」の時には地震津波の映像を繰り返し見てしまったことで、
 精神バランスを崩したり、トラウマになってしまった方がいるという話も聞きます。
 なので、「人は大事な話であれば耐えられる」訳ではないかもしれない、と思います。


追記3
 人が緊張する時は、それを「重要だ」と思ったから、という話もありますので、
 例えば筆者がこういう「傷(きず)」や「被害」に関するものを知って「うっ」となったり暗くなるのには、
 「それを大事だと思ったから集中しよう」、というところがあるかとは思います。。
 まあそれでも体力や、精神力を消費するところもあります。
 もちろんこれは当事者の方などにとっては「重い」どころではない、とんでもない話かと思います。すみません。実に甘い話かもですが、そんな筆者自身を何とか整理したくて書かせていただいているところもあります。


追記4
 この「性暴力(せいぼうりょく)」、または戦時下の性暴力に関しては日本では「従軍慰安婦(じゅうぐんいあんふ)」などの話があります。
 これは歴史や歴史認識、補償(ほしょう)、恨み、責任、なども絡むので、この処理は難しい問題になっているようです。
 同様・類似の問題は日本だけでなく、世界の色んなところにあるよう(歴史を見ていると戦争と性、性暴力はしばしば絡むようです)ですが、
 だからと言って別に「世界がやっていたからいいだろう」という話では別にないかと思います。
 …ただある国の歴史を見ようとすると、その国としては「世界でやってただろ!」ということは言いたくなるでしょうし、
 他の国々にとっては(例えやってても)正直触れて欲しくない話題だったりするかもしれないので、余計にモメてるところがあるかもしれません。

 人類みんなが、放っといてもすごい自国の歴史を反省するか、というとどうもそうではなさそうで、
 むしろ「都合の悪いことは闇に葬りたい」みたいなのがベースの気もします(私見です)。

 これの理由の一つなどには、非常にアレな話ですが、お金とかも絡んでくるかと思います。
 何故なら「一度罪を認めると、その補償・償いをお金でしなければならない」とすると、お金を払いたくない国にとっては「そもそも罪を認めない」ことが選択肢として有り得てしまうわけです。
 また、「支持率」を失いたくない人も、罪はあまり認めたくないかもしれません。
 ごまかしきれるかどうか、というのはまた別の問題ですが。
 またそもそも「何が罪なのか」というのも時代によって変わったりするので、難しいですね。今からするとすごい「不道徳」的なものでも、当時からすると「不法」ではなかったり、また表ざたにされてなくてもみんなこっそりやってたこともあるかもしれません(ただそこら辺の検証はとても難しそうですね)。


 あと国に限らず企業とか個人でもそうで、ここら辺は、
 企業がなかなか「公害」を認めない話や、個人が「ひき逃げ」する心理とかに絡む話と言えるかもしれません。



追記5
 まあ実際にニュースなどで「嫌になる」ことがどれくらいあるかは(統計(とうけい)も取っていませんし)分かりませんが。
 どちらかというと「勉強」で似たようなことはあるかもしれません。

 例えば、ある教科の勉強が苦手とか、そもそも生活でいっぱいいっぱいの方がいたとして、
 その方に筆者(のっぽ)が「将来役に立つから!」と言ってとても難しい勉強をたくさんさせたとしましょう。
 すると、その方は「勉強」自体が嫌いになってしまうのではないのでしょうか?

 そしてその後、体調や精神バランスを崩してしまったとしたら、
 その方はその時させられた「勉強」自体が怖くなり、また嫌いになってしまうのではないか?ということを思います。
 (もちろんその前、あるいは同時に筆者(のっぽ)に対してトラウマを抱いているかもしれません)



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