のっぽさんの勉強メモ

主に中学の学習内容と、それに絡みそうな色んなネタを扱っています。不定期更新ですー。あ、何か探したいことがある場合は、右の「検索」や記事上のタグやページ右にある「カテゴリー」から関係ある記事が見られたりします。

5/10 イン+こころ:「クニャタアン」は戦う相手ですか? ~「kenyataan(クニャタアン)」と「現実(げんじつ)」の話~

 インドネシア語*1+こころの話ー。


 インドネシア語で「現実(げんじつ)」*2などを表す言葉
 「kenyataan(クニャタアン)」についての話です。



 前置き。
 筆者がちょっとインドネシア語を調べていると、
 「現実(げんじつ)」という言葉の訳が「kenyataan(クニャタアン)」となっているのを見つけました。
 …なんか響きがかわいいですね。


 「クニャタアン」の前半は何となく「くにゃっ」としていそうですし、後半の「タアン」の響きは「○○たん」…「○○ちゃん」の変化形を連想したりします。
 なので「クニャタアン」はどこかのかわいいキャラクターっぽくもありますね。


 「現実(げんじつ)」といいますと、よくうまくいかない時とかに
 「これが現実かよ…!」と言われたり、
 「現実には勝てないのか…」などと言われたりするイメージもありますが。


 それを置き換えて「これがクニャタアン(現実)かよ…!」とか
 「クニャタアン(現実)には勝てないのか…」と言うと、なんかかわいいですね。
 意味は変わっていないはずなのですが、響きがちょっとユーモラスに感じます(個人的感想)。


 さて、昔の過去記事でも少し書いたようなことですが、
 「現実(げんじつ)」というと、よく「戦う」相手とか、「敵(てき)」として捉えられたりする印象です。
 例えば「厳しい現実が立ちはだかる」とか、「現実は理想(りそう)とは違う」とか。
 まあうまくいかないことって多いですしね。


 でも自分がうまく行ってる時でも、それは「現実」のはずですが、
 そういう時は「現実が味方してくれた」とか「現実に感謝」とはあまり言わないですね。
 「自分が運がいい」とか、「俺は有能だ」と言うことの方が多い印象です。
 そう考えると「現実」を「戦う相手」と捉えているのは、むしろ自分…見る側の視点なのかもしれません。


 さて、あなたにとって「現実(クニャタアン)」は戦う相手でしょうか?

 もちろん、どんな答えでもよいのですが。


 ただ、日々を生きることが、新しい「現実」に出会うことだとすれば、
 それは新しい「クニャタアン(現実)」に出会うこと、と言えるかもしれません。
 こういうと、なんだかキャラの収集・育成ゲームっぽいですね。ポケモンっぽい


 今は新型コロナウイルス*3の影響で、できないこと、上手くいかないことも多いですが。


 でも明日になれば新しい「クニャタアン(現実)」に会えたり、
 また自分の行動で、また違った「クニャタアン」を生み出せるかも…?と考えると、
 ちょっとだけ、楽しいかもしれませんね。

 

 まあそんな感じで~。


◆用語集
・kenyataan(クニャタアン):
 関連用語:「keajaiban(クアジャイバン)/奇跡(きせき)」*4、「mukjizat/ムクジザッ(ト)/奇跡」、「kecintaan(クチンタアン)/愛」*5




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