社会+国語+理科の話ー。
『マクベス』という作品の「きれいは汚い、汚いはきれい」という言葉を紹介しつつ、
「きれいさ」や「環境問題(かんきょうもんだい)」について考えてみる話です。
遅くなってしまったので簡単に。
前置き。
先日、筆者がお風呂の掃除(そうじ)をしていた時の話なのですが。
石鹸(せっけん)等を使って、しばらく掃除をして
「これできれいになった~」などと思ったのですが。
それを水で洗い流している時に、
ふと「そういえば石鹸や洗剤(せんざい)によって、水の方は汚れたりしているな…」などと思いまして。
そして学校の社会科などでは、
洗剤などを含む排水(はいすい)が革や海に流れて、水を汚してしまう…という話も習ったように思います。
(できるだけそうならないように水質を浄化したりするのですが)
なので、自分は何かを「きれいにした」と思っている裏で、
実は何かを「汚している」のかも…などと思いまして。
そんなことから、シェイクスピアの『マクベス』という作品の
「きれいは汚い、汚いはきれい」という言葉を思い出しました。
これは劇中では、魔女達の不思議なセリフという感じですが、
上の「何かをきれいにする裏で、何かを汚している」ことにもつながりそうだな、と思いまして。
人間にとっての「きれいさ」を求める行動が、
実は地球にとっては「汚い」…汚していくような行動、なんてこともあるかもですね。
※
そして逆に、普段「汚い」とされているものも、逆になることもあるかもです。
例えば「泥(どろ)」*1は、(特に都会などでは)普段は「汚い」方に分類されそうですが、
畑などをする時には 重要だったり、栄養をたくさん含んでいることもあるかもです。
仮にそういう「泥」を使うことで、
人体に有害な強い農薬(のうやく)などを使わなくて良くなるなら。
結果的に、「人体に汚くない」…ある意味「きれいな」食品が出来るかもしれません。
そう考えると、「きれいさ」や「汚さ」というのも、色々あるのかもです。
まあ別に「自然に帰り、無農薬品を食べよう!」と言いたいわけではないですが。
でも何が「きれい」で「汚い」のかが、見方によって変わるかも…というのは興味深いですね。
無理やり自分の見方を逆転する必要も無いかと思いますが、
時には「きれいは汚い、汚いはきれい…」なんてひっくり返して考えてみても、面白いかも?
まあそんな感じで~。
追記
考えてみると、掃除などで何かを「きれいにした」と思っているときも、
それはその場にある汚れを「消滅(しょうめつ)」させていうわけではなく、何かに移している事は多いですね。
汚れをティッシュや雑巾で拭けばそちらに移りますし。
*1:「泥(どろ)」については 7/13 理+英:「ムツゴロウ」は「泥(どろ)」でスキップしますか? ~ムツゴロウと「mudskipper」の話~ - のっぽさんの勉強メモ を参照。