国語+理科の話―。
矛盾感のあふれるタイトルでお送りしておりますが。
おへそ(お臍)の古い言い方である「臍(ほぞ)」と、
「どうにもできない」ことを悔やむという意味の語…
…という割に、文中では「できている」気もする、
「臍を噛む(ほぞをかむ)」という言葉についての話を。
遅くなってしまったので簡単に。
前置き。
まず昨日は「へそ(臍)/navel(ネーブル)」等について書きましたが、
「へそ」は別名、「臍(ほぞ)」とも言うようです。
国語辞典を見た感じ、古い言葉のようですね*1。
で、それに関する言葉で「臍(ほぞ)を噛む(かむ)」という言葉を見つけまして。
これは国語辞典によれば、「後悔(こうかい)する」といった意味合いのようです。
さらにネットでは「臍を噛む」に関して
「自分で自分のへそ(臍)を噛めない」ように、
「取り返しのつかないことを悔(く)やむ」的な説明がいくつか見られました。
この意味合いだと、「後の祭り(あとのまつり)」とか「後悔先に立たず(こうかいさきにたたず)」などに似た感じですかね。
なるほど…という感じで納得はしたのですが。
ただ個人的に、
「○○ができない」という意味を、「○○する」の形で表しているのが面白いですね。
(「臍を噛むことは出来ない」じゃなくて、「臍を噛む」として使われている辺りが)
例えば同じ「○○できない、無理(むり)」といった意味の語に、
「無い袖は振れない(ないそではふれない)」等がありますが。
こちらは「○○できない」意味と「~は振れない」がそのまま対応しています。
しかし、それに対して「臍を噛む(ほぞをかむ)」という言葉は、
例えば「彼は『臍を噛む』ことになった」とか、
「彼は『臍を噛んだ』」という風に、
「○○する、した」の形で使われるかと思います。
つまり文の上では、「誰かが『臍を噛む』ことをしている」ということになるので、
そこだけざっくり見ると、
「『できない(臍を噛む)』ことが『できて』いる…!?」
みたいな気分になって、ちょっと面白いですね。
ついでにおへそ(臍)を噛むことにも成功してしまっているかも
※
ところで上では、
「自分のおへそを噛むことは出来ない」という話を紹介しましたが。
しかしよく考えると、
世の中にはかなり体が柔(やわ)らかい人もいるので、
もしかしたら普通に「自分のおへそを噛める人」や、
「それが当たり前に出来る国・民族」も存在するかもしれません。
まあそれでも、日本語の方の意味は変わらないかもですが。
ただあなたがもし外国などで、
「自分のおへそを噛む」…「臍を噛む(ほぞをかむ)」的な言葉を聞いたなら。
「それは『できない』と『できる』、どっちの意味ですか…?」と聞いてみても、良いかもですね。
まあそんな感じで~。
*1:国語辞典では「老人語(ろうじんご)」と載っていましたが、この言い方が今の時代に適当なのかちょっと迷ったので、こうして本文では無く脚注に載せてみました。