数学の話ー。国語とか哲学*1風味。
なんか書いてるうちに哀しいトーンになりましたすみません。
あと身近にご不幸があった方には不快かもしれません。
マイナス*2についての話を広げて。
つまり「『ないものがある』ってことを意識するには記憶の存在が大事」て話。
よくよく考えるとマイナスと言うより「ゼロ」の話かもしれません。
【「ない」ということは「ゼロ」のようにも思えますが
「欠けている」という「喪失(そうしつ)」の感覚には
「マイナス」がしっくりくるので
本記事では「マイナス」を使っています。ご了承を】
過去記事で「1+1」についての話を書きましたが。
自然界のものは基本そこに「ある」だけであり、「マイナス」というのはありません(多分)。
(多分「ゼロ」もない。)
例えばものを移動させても、それは「ある」場所が変わっただけです。
僕がリンゴを食べても、それはリンゴが形を変えて僕に吸収されただけです。
仮に「全てを飲み込むブラックホール」がここにあっても、それはブラックホールという存在(「1」)がそこにあるだけです。
だから「ここに~がない」という「マイナス」を思う意識は、あくまで人間とかの側が考えることであります。
目の前の物理的なもの、というよりは「目の前にないもの」を思った時に初めて「ない」ってことが意識されるわけですね。
そして、「~がない」と意識するためには、記憶の能力が重要になります。
「ここにトムがいない」と思うためにはトムのことを覚えていなくてはならないわけです。
逆に、記憶できなければ、「~がない」と思うことはできません。
(「未来(みらい)」を考える時も記憶の能力は重要になりますが、また今度)
自分でも何が書きたいのかよくわかりませんが……。
「大切な人がいない」という悲しみはある意味でとても人間的なものじゃないか、と思います。
心のなせるわざと言いましょうか。
物理的には「その人の不在」は目の前になくても、「いないこと」が心で強く感じられる、というのは、
言葉にするのも無粋ですが、「『マイナス』がある」ということに近いのかもしれません。
いうなれば「欠落」の存在でしょうか。
ここで過去記事の「1+1」にからめると、
全てのものは「替えのない『1』」ということができます。
であるならば、「替えのないものの欠落」は何によっても埋まることはないのかもしれません。
……なんか自分でもすごいひどいことを書いている気がしますね。ご不快でしたらごめんなさい。
でもそこからどう考えるか、それをどうとらえるか、というのはまた人それぞれだと思います。
「替えになるもの」を探しに行くのか、
替えはない、と割り切って動き出すのか、
それとも哀しい、ということに集中するのか。
特に正解は無いと思います。状況にもよりますし。
そもそも筆者がどうこう言えることではありませんが……。
でももし、あなたが大切な人や、あるいはも大切なものをなくして
「頭ではわかっていても悲しい」とか、
「~しなくちゃいけないのに前に進めない。こんな自分はダメなのか?」と思ったとして
それ自体は不思議なことではない、ということが言えるんじゃないかと思います。
悲しいものは悲しい、と。
よくわからない感じですみません。
まあそんな感じで~。
◆用語集
・替え:自然界に完全に同じものはない(多分)。
だが「違いを気にしない」ことや「全てのものを『替えのあるもの』とみなす」ことはできる。
過去記事「1+1=2」で挙げたように、足し算を可能にしているものにも少し絡んでいる。
あとマンガとかの悪役の「お前の替えはいくらでもいるんだよォ!」てセリフのように「機能」「組織にとっての役割」から捉えることもできる。
加えて現代社会の「価格」とか「大量生産」とかは、「同じ(ような)もの沢山」「変えのあるもの沢山」という気分を人間に与えやすい。
詳しくは「お金と価値と愛の話」の用語集も参照あれ。
*1:「哲学(てつがく)」については 1/5 数学:なぜ「1+1=2」ができるのか(雑考) - のっぽさんの勉強メモ を参照。
*2:「マイナス」については 4/15 数学:プラスマイナス ~西向いて東向いてまた西を向く~ - のっぽさんの勉強メモ を参照。