のっぽさんの勉強メモ

主に中学の学習内容と、それに絡みそうな色んなネタを扱っています。不定期更新ですー。あ、何か探したいことがある場合は、右の「検索」や記事上のタグやページ右にある「カテゴリー」から関係ある記事が見られたりします。

8/9 歴史+こころ:例えば「銃は要らない」と呼びかける時の、筆者にとっての課題(雑考)

 歴史+こころの話ー。

 相手に「銃(じゅう)」*1や「兵器(へいき)」*2を手放すことを呼びかけるときに、
 ひょっとしたらすごい経験や覚悟を相手にしなきゃいけないのでは?という思い付きの話です。

※以下にはネガティブな話、ワルイ話、おぞましく感じる話が含まれる可能性があります。
 あと長文です。ご注意を。


 前置き。
 今日は長崎に原爆が落とされた日でしたが、核兵器については先日書いた*3ので、また違う話を。

 昨日、ブログで自動小銃「AK-47」*4という銃について書いていて思ったんですが、
 「平和を主張して、銃を無くそう」ということは
 例えば今の筆者のレベルでは、とても難しいことかもしれんということをふと思いました。。


 もちろんこれは銃を持つのが良いとか悪いとかではなく、
 「実は思った以上に筆者の経験が足りていないのではないか?」とか、
 「筆者は銃という物をどこかシンプルに考えすぎていたのでは?」
 と思ったからです。


 その理由は主に以下の3点です。

①銃には積み重ねられた時間がある
②銃は命がけの状況にかかわっている
③銃は物理的な「もの」であり、技術の「結晶」でもある

 自分でもまとまってはいませんが、とりあえず記してみます。



①銃には積み重ねられた時間がある

 まあもちろん平和にもあるのですが、それは一度置いておいて。

 「銃」自体は武器の中では新しいものですが、それでも作られてから何百年もたっています。
 その中で改良されたり、新しいものが生み出され続けていると。
 いわばそれだけの「時間」と「経験」がそこに積まれているわけです。
 対して筆者自身は何十年くらいしか生きていませんし、また平和についてそこまでの時間をかけて考えているわけでもありません。
 「平和」について考えられた時間は長くとも、「筆者自身の平和」についての考えは、まだレベルが浅いとも言えます。
 これは別に「平和について考える資格がない」という訳ではなく、単なる「かけられた時間がまだ少ない」という話です。 

 この点において「平和を主張する筆者」は若干不利になります。


②銃は命がけの状況にかかわっている

 銃を使うのは主に戦場であり、命がけの状況で使われます。
 また家庭で持つ場合でも、自分や家族の生命や身体を守るため、ということになるでしょう。
 とすると、そこにあるのは「命がけの必要」や「覚悟」である可能性があります。
 そしてその状況で成功と失敗のデータを取るならば、
 すごい勢いで「試行錯誤(しこうさくご)」のデータが手に入ることでしょう。
 …銃の持ち主の生と死を含めて。

 対して筆者が平和を思ったり主張する時に、
 「そこまで命をかけられているか?」というと、もちろんそんなことはないわけです。
 平和に対して命を懸けている方もいるでしょうが、筆者自身はそこには達していません。
 言ってしまえば筆者自身は「よくわからずに話している」というくらいでしょう。
 他の人のデータは分かりませんが
 今までの「平和に対する主張」というものが「命がけ」でなされている、とは限らないので、
 その点において「銃」の命がけの試行錯誤やデータには、「気迫」や「データ収集力」で競り負ける可能性があります。
 (良くも悪くも、平和主張に関して、生命を脅かすレベルでの残酷な「データ収集」を強いることは難しいと思われます。
  もちろん命がけの「一揆」などもありましたので、ないというわけではありませんが。
  対して銃は持つものすべてに対して、その「データ収集」を強いる可能性があり得ます。これは数としてとんでもない母数になりえます。)

 ここで既に、「問題に対する姿勢・覚悟」が違っている可能性があります。


③銃は物理的な「もの」であり、技術の「結晶」でもある

 で、ここがある意味一番重要なのかもしれませんが。
 銃は物理的な「もの」であり、今まで考案された経験などは大体活かすことができます。
 例えば欠点があれば改良し、他の種類が欲しければ用意することができます。
 そしてそれらを「物」の形にして残しておくことができます。
 大げさに言うならば、「経験がそのまま形になる」と言ってもいいかもしれません。
 ①や②の、数百年単位の、命がけの試行錯誤が、銃に詰まっている、と。

 そして、銃は物であるために、銃の撃ち方を知っていれば、技術が無くても使えます。
 つまり数百年の経験を、今の人間が、すぐに使うことができるわけです。


 対して(筆者の)「平和」に対する思いはどうか?
 もちろん平和に対する学問や言葉は存在するのかもしれませんが、少なくとも筆者自身はそれをうまく受け継げていません。
 せいぜい平和という「状態」を知っているだけわけです。
 しかもそれは、銃のような物理的なものではなく、技術の「結晶」でもありません。

 つまり今まで「平和」に関する議論がなされていても、それ自体は「もの」として残らず、あるいは残りにくく、
 その経験を引きつくということは、銃のようにはできないわけです。
 少なくとも勉強などが必要になりますからね。
 そしてその議論や経験・映像を記録することはできますが、それをみんなが理解できるわけでありませんし、みんな同じ思いを持つとは限りません。
 それは「引き金を引けば弾が出る」、銃のシンプルさに比べれば複雑であり、くらべれば不利といえるでしょう。


 …って感じですかね。


 まあ要は平和自体がどうのこうのというより
 筆者自身の「平和」観もレベルも浅い、という話だったりします。


 どうしてこんなことを考えたかというと、
 「銃がいらなくなる時とは何か?」について考えたからです。

 仮に敵に囲まれている相手に、「銃を捨てろ」と言っても多分無理だと思います。
 すると、別の手段で周囲を平和にしたり、敵を「無力化(むりょくか)」することなどが必要になるわけですが、
 この時、「果たして言葉は銃の代わりになれるか?なれるとしたらいったいどんな性能が必要なのか?」ということから考えた、という感じです。

 相手が悲壮な思いを持って銃や、あるいは核兵器を持っているかもしれない状況で、
 例えば、筆者が相手に銃の放棄とか平和を呼びかける時。
 「銃や核兵器は要らない」といっても、その筆者のレベルが全く足りていないとしたら、
 対して相手の「銃」に①~③で書いたような、多くの時間や経験や、覚悟が詰まっていたとしたら、
 筆者の言葉は(筆者自身のダメさとはまた別に)全く薄っぺらく聞こえるかもしれない…と思ったという感じです。


 といっても、これは悪いことだけでもないです。
 ひょっとしたら、「銃のない平和」という物を呼びかける時に

 ①数十年の単位をかけて
 ②命を懸けて追求してきた
 ③今までの平和学問も全部学んだうえでの、具体的な平和の「行動」(「敵」も説得できる)

 くらいだったら、「銃」に匹敵する効果を生めるかもしれない、とか
 銃の放棄を呼びかけられる説得力があるかもしれないってことですからね。
 (もちろん、この前提を満たしてなければ主張してはいけないわけでは全然ありません。
  あくまで筆者自身の考えや反省とかの話です)


 まあどうすればいいのかは分かりませんが、色々考えてみた、という感じです。

 長文すみませんでした。読んでくださってたらありがとうございます。
 皆さまはどう思われますでしょう?


 まあそんな感じで~。



追記
 あとちょっとずれますが、第4の理由としては

 ④銃によって「倒す」という行為は平和を「守り続ける」よりも派手であり、短い

 ということもあるかと思われます。
 「~してはいけない」という命令を長い時間守り続けるのは難しいですし、やる気も上がりにくいかと思います。
 その点、ゲームなどに「敵を倒す」ものが多いように、
 「銃を持つ」「倒せる可能性を手に持っている」ということが「派手で」「力を感じる」物と捉えられたとしても、まあ有り得ることかと思います。
 「倒す」って行為は一瞬(のように思えるもの)ですしね。
 あとワルイ話ですが、「気に入らないものを排除する」ということに爽快感や解放感を覚える可能性もあります。


追記
 あと今回は書きやすさもあり、「銃≒悪い」みたいな立場で書いてしまいましたが、
 当然ながら銃や核兵器を作って生計を立てている方々もいるわけです。
 その方々がそこに生活をかけていたとして、代々の思いをかけていたとして、
 その積まれてきた「思い」に、筆者が思い付きで太刀打ちできるか?
 というと、それはちょっと難しいんじゃないか、という話でもあります。
 良い悪いは別として、少なくとも「思い」の量でまず負けているのだろう、とも思います。


追記
 時々漫画などで「戦争によって文明*5が発達する」というネタを見かけることがあります。
 真偽は不明ですが、確かに命がかかっていると人間は色々な工夫をするでしょうし、
 国家がある一つの技術に大量の金をつぎ込む(※ただし他は衰退したりもする)、ということも起こりやすいかとは思います。
 そのためマンガとかでは「文明を発達させるために戦争を起こす」みたいなネタがありますが…。
 しかし逆に言えば、それだけの熱心さと財力が理由で発達するのなら
 別に戦争という手段でなくても良い、とも考えられます。
 ドライな目で見ても、戦争は人が死に、資源を浪費し、環境とかを悪くしますしね。
 (今はただでさえ異常気象が問題になってますし)
 また人心が荒れて犯罪が増え、文化もある程度失われると考えると、当たり前ですが結構なものを失っていそうです。
 そして文明が発達しても、それを受け継ぐ人間が弱ったり、それを使いこなせなくなっていたとしたら、
 文明としてみてすら(正確にはには文明を活かして人間が生める結果について)、やっぱりマイナス…ということもありえるかもしれません。
 そこら辺を数値にするのは難しそうですが。




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